「なりたい自分」ではなく「ならざるを得なかった自分」へと変わっていく——
『君になる〜総集編〜』は、そんな内面の変化と関係性のねじれを描いたシリーズの集大成である。
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本シリーズのテーマは一貫している。それは“変化”だ。
単なる身体的な変化ではなく、他者との関係性によって自分の在り方そのものが変わっていく様子を、極めて繊細に描いている。
総集編である本作には、
マシュ・キリエライト
玉藻の前
美遊・エーデルフェルト
ジャンヌ・ダルク
ジャンヌ・ダルク・オルタ
カーマ
という6人のキャラクターとの物語が収録されている。
その中で語られる“君になる”という言葉は、文字どおり“誰かの理想になっていくこと”でありながら、同時に“自分ではいられなくなる苦しさ”も含んでいる。
このアンバランスな感情のやり取りこそが、本作最大の魅力である。
どの編も設定や構図は異なるが、共通しているのは「自発性と他者の期待」の交差である。
たとえば、ジャンヌ・ダルク編では、相手からの好意が“要求”に変わっていく過程が丁寧に描かれ、
マシュ編では、守られていた存在が“求める側”へと立場を変える場面が強烈に印象に残る。
そして注目すべきは【新規描きおろし】のカーマ編。
このパートでは、これまでの“君になる”文脈を反転させるような展開があり、読者の理解を揺さぶる。
キャラそれぞれの“支配されることへの戸惑い”や“自分が望んでいるのか分からなくなる瞬間”が、演出と構図で巧みに表現されており、
読者自身の“観る姿勢”を問われるような感覚すらある。
一般的な総集編と比べてページ数が多い本作だが、
それが単なるボリュームアップにとどまらず、“変化の積層”として機能している点が非常に優れている。
各編の登場人物が、はじめは“普通の関係”として描かれるが、
会話や視線、そして些細な仕草を通して、少しずつバランスが崩れていく。
その“崩れ方”がどれも違っていて、
あるキャラは強引に、別のキャラはじんわりと…と、描き分けが丁寧。
読者はそれぞれの変化の速度と方向性に引き込まれ、
最終的には「結局、これは誰の願望だったのか?」と考えさせられる。
すでに紙媒体で話題となっていた「ジャンヌ・ダルク・オルタ編」が、
本作で電子版初収録されている点も見逃せない。
このパートは、他の編に比べて圧が強く、
序盤から相手の感情を引き裂くようなテンションで進んでいく。
にもかかわらず、最終盤で“愛情”のようなものが見え隠れし、感情の整理がつかなくなる。
読者の価値観に“問い”を突きつけてくる構成は、まさにシリーズの終盤を飾るにふさわしい一編である。
新規収録されたカーマ編は、本作のラストに配置されている。
この並びが非常に巧妙で、読者に強烈な“後味”を残す仕掛けになっている。
カーマはこれまでのキャラとは異なり、
どこか“他者の感情に無関心”なように見える。
しかし、それが演技なのか、本心なのか、ページを進めるほどに分からなくなっていく。
そしてラストシーン。
すべてを受け入れたのか、それとも演技を貫いたのか——
答えは明かされないが、読者の頭には“選ばされた”という感情だけが静かに残る。
👨【34歳/映像編集】
「最初はマシュ目当てだったけど、カーマ編に完全にやられた。空気感が怖いくらいリアル。」
👨【28歳/電機メーカー営業】
「オルタ編のテンションが強烈すぎる。でもそれがラストじゃないのが構成として完璧だった。」
👨【39歳/医療関係】
「“君になる”って誰かのために変わることだと思ってたけど、読後には“自分が誰かになることで満たされる”って感覚が残った。」
👨【31歳/印刷会社】
「玉藻の前編、すごく切ない。シリアスとエロのバランスが絶妙だった。」
👨【45歳/整備士】
「総集編だけど“全部初めて読んだ感覚”だった。エピローグも含めて、1冊で完結する作品としてかなり優秀。」
この作品が魅力的なのは、
“なってしまう”ことの不確かさと、それを受け入れることの静かな重みが、
しっかりとページを通して伝わってくる点である。
強制されたのか、選んだのか。
愛だったのか、服従だったのか。
その答えが提示されないからこそ、
読者は何度でも自分の解釈でこの作品と向き合うことになる。
シリーズを追ってきた人はもちろん、初めての読者にとっても、
“完結編”ではなく“入り口”にもなりうる一冊。
今だからこそ読む価値がある作品だと断言できる。